院長紹介
クリニック院長のご挨拶
米国公認
ドクター・オブ・カイロプラクティック
井田 知孝
(いだ ともたか)
カイロプラクティック発祥の地、アメリカで100年以上の歴史のあるパーマー大学を卒業
D.C.(ドクター・オブ・カイロプラクティック)を取得
Certified Active Release Technique Provider
公認アクティブリリーステクニック有資格者
上肢、下肢、脊柱
カイロプラクティックを通して、
多くの日本人に感動を伝える
これが私のミッションです。
私がカイロプラクティックという言葉を初めて聞いたのは、大学1年生の時でした。
かいろぷらくてぃっく。。。なにか言いづらい難しい名前だな。
そんなふうに思った記憶があります。皆さんもカイロプラクティックと整体って何が違うの?って思っている方も多いですよね。私もその当時は何も知りませんでした。
そもそも私の父が医者ということもあり、小さい頃から医者という職業に漠然と憧れを抱いていました。多くの患者さんが本当に喜んで父に感謝して帰られる姿を見て、子供ながら父を誇らしく思っていました。家では書斎にこもり、時間を惜しんで研究をするとても勤勉な父で、今でも現役で働いていま
す。
そんな父の影響を受け、また医者になるということが周りからも当然のように思われていた私は、県内でも有数の進学高校に入学しましたが、その頃から将来に対して漠然とした不安をもつようになりました。自分は本当に何がやりたいんだろう。 目標が定まらないまま、とりあえず医学部を目指し受験。しかしそんなあまい考えで受かるような学部ではありません。結局、浪人してまで受験しましたがどこも受からず、理工学部という全く違う分野に進みました。しかし本当にやりたいことではなかった大学では、どうしても馴染めずにいました。人生で一番迷っていた時期がこの頃です。
そんな時に知ったのがカイロプラクティックでした。 調べていくうちに、そのカイロプラクティックはアメリカ発祥で薬を使わず体を治すことができる医療で、さらにアメリカではドクターの資格がある職業だと知りました。なにか直接的に人のためになることをやりたいと思っていた私は、このカイロプラクティックに深く興味を持ちました。すぐに大学を辞め、アメリカに留学することを決めました。
アメリカでは、カイロプラクティックを行うドクターのことをカイロプラクターと言いますが、そのカイロプラクターになるためには、平均でも7年以上かかると言われています。大学での勉強は専門性が高く、膨大な量の医学知識からカイロプラクティック専門知識まで覚えることは確かに厳しく大変でしたが、医療者として人の体に携わるには必要なことです。この頃は人生で一番勉強した時期でした。そして卒業後、私は2人の偉大な先生、Dr. Mitch Mally、Dr. Pamela Troxellの下で働くことができました。恵まれた環境の中、素晴らしい先生と出会い、学校では学べない実践的なことや、カイロプラクティックの本場アメリカで培われた本物のカイロプラクティックを直に感じ学べたことは、かけがえのない経験となりました。
日本に帰国後、新宿の中島カイロプラクティックセンターにて8ヶ月勤務。
2013年4月よりIDAカイロプラクティック二子玉川開院。
2014年1月よりIDAカイロプラクティック岐阜開院。